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原発とめろ! 震災解雇を許さない! すべての労働者に仕事と生活を保障しろ!
現地救援対策本部
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救援対策本部ニュース第33号 2011.4.28

 以下からダウンロードできます。A4サイズです。

 
仙台・全逓労働者H.Sさんからの報告

★地震当日の出来事と仲間の行動

 3月11日、あの大地震の時僕は郵便配達をしていた。相当長い揺れでタンスなどがひっくり返っている家もあり、信号も機能せず私は「ただごとじゃない」と思い即座に帰局した。
 帰局してから、5時を過ぎても帰って来ない仲間が二人いる事に気づく。後々聞いてみたら「全部配達を終わらせてから帰局した。」との事。「「真面目なんだなあ」と笑い話みたいな雰囲気になっていたが「ちょっとまて」と思う。もしこれが沿岸沿いを配達している地域だったら少なくともこの二人はこの場にいなかった。地震が起きた時のマニュアルなどは普段からミーティングなどで学んでいたがそれよりも「郵便を持ち戻るのは駄目だ。怒られる。」などの普段仕事で染みついた強迫観念が、あの非常事態にもかかわらず「全部配達してから帰る」等の行為に及ばせてたのだと思う。
 かけがえのない職場の仲間を失う所だった。僕は憤りを感じる。

★無関心という名の「人災」

 テレビで色々報道されている事もあり、職場でも原発の話になる事はある。ただ残念ながらそんなに議論が進まないのが現状だ。「原発なくなったら電気足りなくなり今の生活ができないじゃん」・・・せいぜいそんなレベルだ。
 その人にとって「フクシマ」とは遠い国の出来事なのだろうか。すぐお隣の県であれだけ住民が苦しんでいるのに、そこまでして「今までの電気の水準」を維持したいのだろうか。おそらくこういった「無関心」「自分本意」な方々に支えられて原発は増設されていったのだろう。
 今のこの時期が原発反対の声をあげる最も重要な時期だ。皆でもっと真剣にこの事について議論するべきだと思う。
 

海外からの連帯・支援の声

4/13ドイツの第2回国際環境協議会準備連絡会から動労千葉への連帯メッセージ

 友人のみなさん 第2回国際環境協議会準備連絡会のメンバーは、あなた方の闘争に連帯することを表明します。全世界の原子力発電所を直ちに停止するために、ともに世界規模で闘いましょう!
 われわれは原発に反対する日本の4人の活動家の逮捕とあなた方の運動に対する日本政府の弾圧に強く抗議することを宣言します。
 われわれは、日本の労働者の闘いと環境運動との広範な連帯を組織するための活動を拡充していくことを宣言します。
 われわれは、ルール地方で2011年10月8日~9日に開催される第2回国際環境協議会に参加し、またそのための準備作業に参加されるよう、あなた方を招待します。…(略)われわれは、多くの国の環境闘争の主要な問題に取り組む活動家を招待し、経験を交流し、連携と協力を組織したいと思います。われわれには、あなたがたの経験と提案も必要です。ドイツの反原発の大衆運動にとっても、またすべての国際的な参加者にとってもあなた方とこの会合で出会うことが非常に重要です!
 気候変動ではなく、体制変革を! われわれの地球を核汚染・化学汚染から守れ!
 環境と人類を守る強力な国際運動をともに建設しよう!
 協力していくためのあなた方の提案について、そして第2回国際環境協議会に参加するためにあなた方が必要なものについてお知らせください。
 もっとも暖かい挨拶をもって
 連絡会を代表して
 ギュンター・ビテル博士
(「日刊動労千葉」より) 
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 全国から寄せられた物資のうち、お米120キロと味噌100キロを、南三陸町で唯一の避難所となっているマリーナベイサンズに届けてきました。

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 4月23日、午前8時30分。荒浜小学校前に立つと、校門前の信号機の残骸ががれきの山の中に埋もれている。
 かろうじて残った校門には「仙台市立荒浜小学校」の表記。校庭の奥にある校舎は、1階部分は車が突っ込んだり、がれきが散乱したり、窓ガラスが割れたりしているが、2階から上はあまり損傷ないように見え、全体としてはしっかり残っているような感じである。校舎の隣にある体育館は激しく破壊されている。荒浜地区と言えば、津波発生後、200~300もの遺体が確認されたものの、何日もの間、水が引かなかったり、がれきがあるという理由で遺体がそのままにされていた地区であることは知っていた。一体なにがあったのか。思いをめぐらせながら、校門を堰き止めるように積もっているがれきを乗り越えて、校舎の方へ歩いていく。

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 校舎入り口には、仙台市災害対策本部の「検索終了」の張り紙が。捜索したのは自衛隊とのことだ。ここで亡くなった人もいたんだろうか。
 校舎に入ってみる。地面は一面土砂で埋まっている。陸上競技場のトラックのようにふわふわして柔らかい。入り口には「仙台市荒浜小学校120年の歴史」と書かれた年表が掲示されている。ふと天井を見ると、泥がついていて、津波の痕跡が生々しい。「ここまで水が来たのか」。


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 生徒昇降口。大量の土砂とぐちゃぐちゃの光景に驚く。「これは凄まじいな」
 振り返ると、廊下に車が2台つっこんでいる。1台は天井に突き刺さっている。恐怖を感じる。「一体これは何なんだ」。隣の教室も大量の土砂が堆積し、ごみが散乱している。

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 2階に上る階段を見つけ、上る。階段には土砂や修学旅行ガイド、生徒が作った野外活動の記録などが散乱していた。申し訳ないと思いつつ、それらを踏みながら2階へ。
 2階にも土砂があった。1階よりは少ないがここまで来たのかと驚く。放送室は放送器具はかろうじて残っていたが、ビデオテープなどが散乱している。


P1000376a.JPG 隣の教室には
 「しんど7 震源地三陸沖
  つなみ石巻3m30cm かまいし4m20cm PM3:20現在
  建て物流される 車が流されてういてる
  大船渡逆流
  千葉も大津波けいほう」
と黒板に書かれている。


P1000377a.JPG 廊下を歩いていると何だこれはというポスターが掲示されている。
 「荒浜小学校は
  市内唯一
  津波避難所に指定
  されている学校です。」
 津波避難所って、津波に飲まれたじゃないか! 怒りと恐怖がまぜこぜになる。




P1000378a.JPG 3階の教室。後ろに張られている4年生の生徒たちの習字。書かれていた文字は「生命」。









 そして教室の床に落ちていた生徒の書いた絵日記に気づく。
P1000379a.JPG 「日記3月11日 さとうこうすけ
  ○今日、大きなじしんが来た。
  ○そしたら大~きなつなみがきた
  ○屋上で見たけしきはみんなは大あわて
   じごくだった
  ○8時ぐらいまで学校でたいきしていた
  ○これからどうなるかわかんないけどひっしにがんばる」

 絵には、学校や家が波に襲われている様子が描かれている。「じごくだった」・・・この言葉が強烈に突き刺さる。


P1000380a.JPG 別の教室には、仙台市の災害用仮設トイレ2台が置かれたままになっている。






P1000381a.JPGP1000382a.JPG 4階。教室と廊下には大量の毛布と備蓄用の飲料水、アルファ米が残されている。黒板には避難していたと思われる人の名前が書かれている。




P1000383a.JPG 別の教室には
 「ありがとう 荒浜小学校
  荒浜の子どもたち、地域のみなさん
  またいつかみんなで
  ここにもどってきて
  会いましょうね。
  それまでおたがいに、
                   元気にがんばろう!
                   4/17 多田先生より」
                   と書かれている。担任の先生だろうか。

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 屋上に上る。屋上はあまり広くはない。ここで何人の人が津波の「じごく」を目にしたのだろうか。屋上からは荒れ果てた荒浜地区が見渡せる。海岸沿いにある松林はとても近い。残った建物はほんのわずか。壊滅状態だ。後日、ネットに出ている映像を見た。屋上から津波の様子を撮影したものだが、荒波を進む船のような感じで、手を伸ばせば波に届きそうなくらい近い。家も流されている。悲鳴や叫びも聞こえる。

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 校舎を出る。校舎と体育館の間には大量のがれきが存在している。校庭はきれいになっているので、ここに集められたようだ。校舎の裏に回ってみると、給食配膳室の大きな冷蔵庫2台が倒れて外に飛び出している。窓枠もめちゃくちゃになっている。


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 体育館。土砂が厚く堆積していて、体育用具も散乱している。2階の窓も破壊されていて、2階にいたら助からなかったのではないかと思う。ところどころ床が見えるが、床板が波打つように傾いている。舞台のカーテンに水の跡がある。数メートルの高さはある。

 
 大地震発生直後、荒浜小学校には、若林区保険年金課の職員2人が「避難所開設」のために派遣された。今年2月に市が作成した避難所設置マニュアルには、大津波警報が発令された際は近づいてはならないと記載されていた。引き返すよう連絡されたとのことだが、間に合わず津波にのまれたものの、何とか一命をとりとめた。他方、避難するよう広報するため荒浜地区に向かった職員2名が行方不明になっている。「当局に殺された!」これが現場の怒りだ。
 死者・行方不明者3万人がどのようにして亡くなったのかを見たとき、資本・国家による犯罪を絶対に許せないと怒りが煮えたぎってくる。


救援対策本部ニュース第32号 2011.4.27

 以下からダウンロードできます。A4サイズです。

 
いい加減にしろっ、もう沢山だ! 黙っていることはもうできない

「想定外」と耳にするたび腹が立ってしかたない

 仙台市在住の作家、熊谷達也さんが地元の新聞『河北新報』に書いています。

 沿岸部の被災地の人々は、あるいは私を含め、東北に生きることで同じ痛みを抱え、困難な未来を共に引き受けようと覚悟しているものは、誰ひとりとして「想定外」という言葉は口にしない。…目の当たりにした数々の光景はそんな簡単な一言で片付けられるはずがなく、無言を貫くか、懸命になって違う言葉を探そうとするかの、どちらかだ。
 だが、内に抱える腹立ちや怒りを、今回ばかりは、遠慮せずに言葉にしていいのではないか。…ここまで言葉に傷つけられ、それでも黙っていることはもうできない。
 東京に電気を送るために、私たちは進んで原発を引き受けたのではない。原発なんかなくても暮らすことはできた。原発がなくては暮らせないように東北の村を作り変えたのは、首都圏のエゴイズムだ。
 東京にだって、私たちの痛みを同じ視線で共有しようとしてくれている人々がいることを、一緒に痛みを引き受けようとしてくれている人々が沢山いることを私たちは知っている。それには素直に感謝している。しかし、それを差し引いても、私の腹立ちが治まる気配は一向にない。…これ以上傷つけられるのはもう沢山だ。
救援対策本部ニュース第31号 2011.4.26

 以下からダウンロードできます。A4サイズです。

 
原発と原子力産業を解体することなしに労働者人民は生きられない

レベル7
 
 福島原子力発電所の事故は、日を追うごとに深刻さを増し、危機的な状況が露呈してきている。
 4月12日、巨大地震と大津波が起きた3・11から1カ月を経た今になって、原子力安全・保安院はようやく、福島第1原発事故の評価レベルを国際評価尺度に基づいて、現在のレベル5からチェルノブイリ原発事故に匹敵する最悪のレベル7に引き上げると発表した。
 この期に及んでも、原子力安全・保安院の西山審議官は、「1986年のチェルノブイリ原発事故の時に放出された放射線物質の量とは相当異なる」と、福島原発の大事故が、あたかも、たいしたことではないかのような詭弁を弄した。

子どもたちの未来が

 しかし、この推計量は大気中への放出量のみの計測であって、海水への漏出を加えれば相当に深刻な値になる。それに、チェルノブイリとは違って、福島第1原発は人口密度の高い地域に建っている。しかも避難区域から外れた多くの町や村でも放射能レベルが非常に高く、特に子どもや妊娠中の女性はもっとも影響を受けやすいので、本来なら緊急に避難が求められてしかるべきである。
 将来の子どもたちに負の遺産を遺してしまうことに、私たちの心は激しく痛む。しかし、立ち止まったり後戻りしている場合ではない。今はともに前進すべきだ。人類と核は絶対に共存できない。なんとしても世界中のすべての原発と核兵器を廃絶しなければ、子供たちの未来は失われてしまう。

全ての原発を直ちに停止せよ

 ニューヨークタイムズに掲載された記事には、「原子力規制委員会(NRC)の内密の調査によると、日本の原発危機の救援のため派遣された政府の技術者は、この事故を起こした原発は無限に続く新たな脅威に直面し、ある場合には、原発を安定化させる手段そのものの結果としてその危機は拡大されるだろうと警告している」とある。
 4月6日、菅政府は放射能汚染水の海中投棄に踏み切った。日本農業に続いて、漁業の壊滅的打撃は不可避となった。我々はこれから半永久的に目に見えない「放射能」の恐怖にさらされて暮らしていかなければならないのである。
 このところ、東北や近隣地域でまた大きな余震がたて続けに起こっている。4月7日と11日の大きな余震は日本列島を震撼させた。この余震で、東通り原発や女川原発の外部電源喪失、緊急時の発電機の故障、使用済み核燃料貯蔵プールの冷却機能停止、福島第一原発での外部電源喪失と冷却水注水ポンプの停止という重大な危機的事態が発生した。震度5~6程度の地震で、日本のどの原発でも福島第一原発と同様の危機が起こるという現実に日本中が震撼した。

反失業大闘争を!

 100万の失業が迫っている。だが闘いは被災地現地で開始された。
 震災一ヶ月を過ぎても餓死寸前の人民の姿や介護と医療の崩壊状態が毎日報道されている。日帝の統治機構は依然として混乱状態で破綻している。膨大な田畑と漁業基地が津波で流失し、原発大事故による空、海、土壌への放射性物質放出が農業漁業を壊滅の危機に追い込んでいる。被災エリア就業人口87万人が失業に直面している。
 しかし一方で、4月3日、労働組合交流センター現地救援対策本部が被災失業と闘う確固たる闘争方針のもと活動を開始した。
 政府と東電を徹底弾劾し、全原発の即時停止・廃炉を闘いとろう。
 東北部品工場群の被災は主要産業を停止させており、大失業は全土に拡大している。国鉄全国運動を基軸に全国各地で労働組合を組織し、反失業大闘争を巻き起こそう!
 労働者・民衆の連帯と団結だけが未来を開く力だ。震災を理由とした100万人解雇を絶対に許すな!
 国際連帯の力で核の根絶を勝ち取ろう!
(「日刊動労千葉」4/15号より)


海外からの連帯・支援の声

<ブラジル>
● 3/17 ヘルベルト・カルロスさん(サン・ジョゼ・ドスカンポス金属労組副委員長)

 動労千葉の同志のみなさん、日本を襲った大災害がとても気がかりです。また核の危険に晒される日本の人民が心配です。そして、被災された労働者のみなさんの闘いに敬意を表すると共に、連帯のあいさつを送ります。
 私たちは労働者の底力を信じています。そして、貴労組が今も労働者の権利を守り、闘いの組織化に奮闘されていると確信します。災害の責任を労働者に転化するな!私たちは、労働者人民の権利を解体する新自由主義政策と対決する世界中の運動と共に在ります。

〈ドイツ〉
●3/29 ローランド・ベンゼルさん(GDL ドイツの左派鉄道労組組合員)
 動労千葉の親愛なるみなさん。
 私は、ドイツの鉄道(「ドイッチェ・バーン」)の機関士です。私は50歳で、ドイツの鉄道労組GDLの組合員です。
 まず、多くの苦難にあわれたすべての日本の皆さんにお悔やみを申し上げます。日本の鉄道労働者の状況はいかがですか? 特に機関士の皆さんやそのご家族は、どうされているでしょうか。
 いまのところ私のメールは個人的なものですが、この連絡をもって私からの支援をしていきたいと望んでいます。それが可能かどうかわかりませんが。とはいえ、あなたがたとともにあることを感じている者がドイツにもいるということを、ドイツからの通信であなたがたが知ることは大事なことだと思っています。
 日本や福島の機関士のみなさんのためにドイツの機関士たちができることがあるでしょうか。バイビリンゲン(シュトットガルト近郊)から、皆様の無事を祈る気持ちをこめて。

●4/8フリッツ・ホフマン (ドイツのアイゼナッハの職場委員)
 動労千葉の仲間のみなさん。
 オペル、アイゼナハ工場の労働者を代表して、日本の原発に反対する人々への弾圧に抗議し、直ちにすべての投獄された人々の釈放を要求します。友愛を込めて。

(「日刊動労千葉」より)
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